「げきとん / gekitong」は、当時「劇団☆新感線」に所属していたフランキー仲村が1990年に結成したコント集団「激男富田林」を前身として、1992年に「劇団☆新感線」の劇団内劇団として旗揚げしました。
「劇団☆新感線」の稽古場が隣接されていた大阪扇町のミュージアムスクエア「フォーラム」という小劇場で、記念すべき演劇制作第一弾となる『熱き心に~熱海殺人事件より~』を上演します。終演曲として小林旭の「熱き心に」を流した事が当時の関西小劇場界では話題に。そして同年秋、周防正行監督の1992年の映画『シコふんじゃった。』を公認の元で戯曲化、これを『熱き心に2~シコふんじゃった。より~』として上演します。
この年、満を持してフランキーのオール書き下ろしによる『熱き心に3~花みずき~』を制作します。後に劇団の転換期に再演を重ねていく事になるこの作品は、戦国時代に生きる若き日の上杉謙信…虎千代の青春と悲恋がフランキー流に熱くテンポよく描かれ、客席が笑いと涙に包まれました。
そしてこの後フランキーは、舞台から映像による表現活動「映画制作」に、個人としての活動の場を移します…
「激富シネ倶楽部」という自主レーベルを立ち上げ本格的に映像芝居の研究を開始したフランキーは、当時関西インディーズムービー界で活躍していた様々な団体が制作する自主製作映画にまず役者として関ります。中でも、初期の「激富」作品に役者として関わっていた当時「劇団☆新感線」の劇団員「石田アキラ」が監督兼カメラをつとめる「A.I.FILMs」の作品に多数出演します。また共に制作した『乙女の祈り~さよならはいわない~』では「劇団☆新感線」高田聖子をヒロインに迎え、「あきるの映画祭」に入選を果たします。
役者としてだけでなく映像制作もスタートさせ、当時「劇団☆新感線」の後輩であったタイソン大屋、そして現「げきとん」団員のはだ一朗が「激富シネ倶楽部」に加わり、「想景〜OMOKAGE〜」等様々な作品を制作します。
その後、劇団☆新感線を退団したフランキーは映像表現で培った経験を踏まえ、同じく退団したはだ一朗と共に…クサくて熱くて泣けて、且つ活劇としての要素をふんだんに盛り込んだオール書き下ろしの戯曲による舞台制作をはじめます。当時の『激富シネ倶楽部』のキャッチコピーは…「日本人を熱く応援するエンターテイメント集団!!」
以下、その後の公演の履歴と、劇団の変遷です。